『マチネの終わりに』平野啓一郎さん…これはすごい恋愛小説だ…
いわゆる恋愛物は、ほぼほぼ読んだことがなかったんです。そんな私が2度読み返しました…
手持ちの文庫の帯裏のキャッチコピーは
「たった三度会った人が、誰よりも深く愛した人だった-」
作者:平野啓一郎さん
21世紀になる2年前(懐かしい…)、1999年、京都大学法学部在学中に『日蝕』で芥川賞を受賞。
三島由紀夫の再来と言われ、当時の最年少受賞ということでも話題になりました。(その後、綿矢りささん19歳、金原ひとみさん20歳の受賞がありました。『推し、燃ゆ』の宇佐見りんさんは21 歳での受賞)。
『日蝕』は、漢文調の独特の語りの重みに引き込まれるように読みましたが、最終的に私は「最後の方が間延びしていない?書き疲れ?」などと生意気な感想を言ったりしていました^^;(今に読み返したらどのような感想が湧くのか楽しみですが)。
賞への応募ではなく「新潮」編集部への持ち込みによって同雑誌への掲載に至ったのでしたよね。
平野啓一郎さんによると、雑誌「三田文学」の特集「いま、我われはこのような新人を待つ」(1997年夏季号・No.50)を読んで、「新潮」の当時の編集長・前田速夫さんに『日蝕』を読んでもらおうと思ったのだそうです。そして突然小説を送っても取り合ってもらえないだろうと思い、事前に手紙を送ったとか。
前田速夫さんは武者小路実篤を担当したこともある編集者です。歴史を感じます…。
また平野啓一郎さんは元々は、小説家というものは世間に顔を出すものではないというお考えだったそうですが、今はお姿もなんともよく知られた作家さんになっていらしゃいます。
学生の時に軽音楽部に所属したり、『葬送』にてショパンを描いたりと音楽に縁のある作家さんですが、「小説全体は時間芸術なので音楽的に考える」のだそうです。「大きな波のように考える」とも。
↓こちらでそう語っていました。メディアプラットフォーム「note」の企画で平野啓一郎さんがゲストだった時のものです。面白いですよ。
ちなみに、『マチネの終わりに』の制作秘話に繋がるお話もされているのですが、
「その小説が何を書こうとしているのかということを、くどくどしい説明抜きに象徴的に示しているようなクライマックスの場面が描けたら、あ、この小説は書けるな、と思う」そうです。
『マチネの終わりに』では、なるほど、あの場面か、この場面か…私は答えを知っていますが(o^^o)
装画:石井正信さん
『マチネの終わりに』は、毎日新聞朝刊、次いでnoteで連載されました。その連載の挿絵を描いたのが石井正信さんというデザイナーさんで、単行本・文庫本の表紙画を描いたのもこの方です。日本大学芸術学部デザイン学科コミュニケーションデザインコース(当時)ご卒業。
本から入った人では分からないのですが、連載時には石井正信さんによる緻密な挿絵が掲載されていました。もともとは、イラストに限らず写真など他の表現形態でもOKというオファーだったそうですが、石井正信さんは結果イラストを採用。全307回分の挿絵は全て螺旋状に繋がるように構想したそうです。
どんな挿絵を描くのか?抽象と具体のどちらを取るのか?具象的に描くと読者のイメージを損ねるのではないか?と揺れたそうですが、インターネットのコメントや新聞への投書から伺い知れる読者の反応から、後半はそうした配慮をやめたそうです。それは「途中から皆さんのなかに確固たる登場人物が存在しはじめていた」から。例え具体的なビジュアルを描いても読者のイメージが損なわれることはないだろう、と判断したそうです。
石井正信さんのインタビューが「WIRED」に掲載されています(オフィスに貼れられた螺旋状のイラストも見ることができます…!)
書籍の出版に合わせて作品展が開催されていたのですね。圧巻だったのではないでしょうか。見たかったです。
またこちらのインタビューでは、デザイナーになった経緯など石井正信さんの人となりを垣間見ることができます。
毎日新聞・noteへの連載
毎日新聞朝刊、次いでnoteにて連載されました。新聞の連載は2015年3月1日から2016年1月10日の間。元々200回の連載予定が307回に増えたそうです。平野啓一郎さんのご経験上2度目の新聞連載だったそうですが、最初の連載(『かたちだけの愛』)は夕刊だったのに対して今回は朝刊だったことにより、「日曜日の休刊」がなく、それが「大違い」だったそうです。
平野啓一郎さんのnoteに、連載終了時の感想が掲載されています。